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瑛九生誕100年

2006年9月12日TV東京系の「なんでも鑑定団」で
瑛九の田園と言う作品が5000万と言う高額の価格が付けられた
視聴者はもちろん番組関係者も度肝を抜かれたが
これも瑛九の価値を表すもののひとつである
 
私の瑛九の絵のイメージは
晩年の点描の絵だが
南国宮崎の光や色彩を感じるのだ
オリジナリティの国際性と風土性が調和して
しかもどことなく茫洋としている
人を包み込んでくれそうなスケール感を感じさせてくれるのである
 
瑛九 (本名 杉田秀夫) 
1911年4月28日~1960年3月10日
戦前の日本人において最大で質の高いフォトグラム作品を残している
カラーリスト(色彩画家)とも呼ばれている
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宮崎で医者の家に生まれ15歳で美術雑誌に評論を書き
1936年には フォトデッサン集 眠りの理由 を発表する
1937年 自由美術家協会創立に参加
1948年 谷口都と結婚
1951年 デモクラート美術家協会を創立
      池田満寿夫、磯部行久ら若い作家に大きな影響を与えた
      宮崎から浦和に移り住む
      油絵,フォトデッサン、版画などそれぞれに独自の世界を生み出す
 
1959年 点描の油絵の制作に没頭するあまり病となり入院
1960年2月 瑛久油絵個展が開催され大作9点を出品
         会期中に入院
1960年3月10日朝  急性心不全で永眠(享年48歳) 
 
フォトデッサンは瑛九のコアと言っても良い
19歳で入学した写真学校でフォトグラムに出会い独自に創作活動を開始
フォトデッサンの技法を様々な表現方法に転化していく
池田満寿夫は瑛九のエッチングの講習で何度も助手を務めた人だが
彼が瑛九を評して
『私の精神を奪った人』と形容していることが瑛九の大きな存在感を表している
 
宮日の記事によると
 
妻の谷口都さんは
まっすぐなひとだった、一緒になってよかった
絵は売れなかったけれど苦しいと思ったことはない
絵だけにしか生きていなくて神経質で無邪気で・・・・・
宮崎のかぼちゃを煮たのが好きだったという
 
1958年瑛九は友人にあてた手紙に
絵画の中に突入できるかどうか
最後の冒険を試みようとしていると書いている
そして晩年の3年間は色と点だけで構築する点描になっていく
ある意味瑛九の芸術活動の到達点だ
アトリエにこもり昼も夜もただ点を打ち続けた
加藤克己(元現代歌人協会理事)は瑛九の精神と命を刻み込んだ
点描を 『点刻』 と呼び畏敬した
 
不思議だが最後は描くサイズはどんどん大きくなるのに
点はどんどん小さくなっていくのである
ここに瑛九の命をかけた気迫を見ることができる
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1960年の展示会では
冷静に色点を操作しながら新鮮な幻想を織り込んだと評価を受けた
瑛九が最後にたどり着いた点と色の世界
彼の自由の感性が描く色彩の豊かな広がりは
独特のリズムとともに一気に昇華していったのである
 
瑛九展が生誕100年を記念して開催される
郷土が生んだ異彩の画家の足跡をぜひ見ていただきたい
 
テーマは輝き続ける自由の魂
宮崎県立美術館
7月16日~8月28日