薩摩スチューデントという偉業

昔のネットワークの仕事仲間が鹿児島に集まった

鹿児島は西郷どんの人気で観光客も増えているとのこと

一年ぶりの再会に話も弾んだ

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ここが西郷隆盛の生誕地

西郷どん記念館を見学した後

甲突川の川べりの緑地を歩くと

維新への道が展開されている

西郷隆盛生誕の地をはさみ

薩摩の歴史がうまく理解できるディスプレイも展開されている

その中でも印象深かったのは

薩摩維新館での薩摩スチューデントの映像だった

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1865年、薩摩藩は幕府の鎖国令を犯し

密かに15名の留学生と4人の使節団をイギリスに送り込んだ

 

この計画は亡き藩主、島津斉彬の発案であった。

西欧の近代的な技術を学び、豊かな強い国を作らなければ

いずれ日本は列強に支配され、植民地の道をたどらざるを得ない

留学生の派遣は打開に向けた一つの布石だった。

しかしこの構想は1858年斉彬の急死により頓挫する。

 

1863年の薩英戦争で

圧倒的なイギリスの軍事力を目の当たりにして

五代友厚は長崎の英国商人 トーマス・グラバーと懇意になり

留学の構想を温め、藩に提出する

数字に裏打ちされた開国貿易を基礎とした富国強兵論だ

幕府に知れたらただ事では済まされない

しかも一人当たりの費用は

現在の価格に換算すると2600万と言う巨大なものだったという

いかに薩摩が危機感を持ってこの事業を行ったかが理解できる

 

鹿児島から出港し、香港、シンガポールなどの港に寄り

66日間でイギリスに到着

航海中は必死に英語を勉強したという

 

最先端の機械や地下鉄などの交通システムに刺激と驚嘆と勉強の日々

短期間に勉強し吸収した知識を持ち帰り

それが日本で花開くことになる

この留学生15人や視察団の4人が

明治維新後の明治政府の核となって活躍していくことになる

 

日本の未来を見据えた島津斉彬の優れた先見性と

西郷隆盛などの傑物を見出した慧眼に驚くとともに

自ら未知の世界に挑戦していった薩摩スチューデントたち

その期待に応え実現していった薩摩隼人の志の高さと覚悟に

深く感銘した

今の時代だからこそ、日本にそんな若者が出てくることを願いたい!