音楽の最近のブログ記事

日本の歌謡界にとっても凄いことが世界で起きている
 
アメリカオレゴン州ポートランドに拠点を持つ
ジャズオーケストラ ピンクマルティーニ(12人編成)が
由紀さおりさんとのコラボレーションアルバム
PINK MARTINI & SAORI YUKI 『1969』を世界22か国で発売され
アメリカ、カナダをはじめ世界で大きな話題になっているのだ
 
バンドのリーダーのトーマス・ローダーデールは
日本にホームステイの経験もある親日家
その彼があるときポートランドの中古レコード店で何気なく見つけた
由紀さんのファーストアルバム 「夜明けのスキャット」
由紀さんの透明感のある歌声に魅了され
2007年自分のアルバムの中の「タ・ヤ・タ・ン」を日本語でカバーしてからの縁
 
キーマンは佐藤剛という音楽プロデューサーだった
彼は甲斐バンドのマネージマントを手始めにブーム、由紀さおりの「生きる」等
のプロデュースなどを手掛けている
彼には確信があった
すべては1969年に始まった
ロックも歌謡曲も起源は1969年だと・・・・・
そして由紀さおりのメガヒット 夜明けのスキャットも1969年だった
テーマを1969年にして由紀さおりとピンクマルティーニとの
コラボレーションアルバムが作れないかと考えた
もうそろそろ日本の歌謡曲が世界から発見されても良いころだ
アプローチが違わなければ1969がその導火線になる
 
話はトントン拍子に進み
トーマスが予想以上に日本の歌謡曲を知っていることに驚くやら嬉しいやら
1969のレコーディングの曲は
夜明けのスキャット ブルーライトヨコハマ、夕月、いいじゃないの幸せならば
など12曲
すべて1969年にヒットした曲である
さらば夏の日を除くとすべてが日本語だ
春にポートランドでレコーディング
打ち込みなど電子音を全く使わない昔風のやり方で久しぶりの新鮮な気持ち
のレコーディングだったという由紀さおり
 
2011年10月7日
ロンドンの音楽の殿堂 ロイヤルアルバートホール
7000人の観衆の前でピンクマルティーニにBBCオーケストラを
入れた豪華な大舞台のステージゲストに由紀さおりが登場した
夜明けのスキャット、ブルーライトヨコハマ
第2部は さらば夏の日(フランス語) 夕月
アンコールはマシュケナダを日本語で歌った
観衆は総立ちで拍手を送った
リーダーのトーマスはファンタスティックだった
大スターがカムバックした時みたいなビッグナイトになったとコメントした
由紀さおりは
日本語や歌謡曲は全然異質な文化ではないと実感した
 
11月1日に配信がスタートしたItuneアメリカでは11月2日ジャズチャート 第一位
カナダでは10月28日配信スタート 10月28日ワールドミュージック部門 第一位
世界22か国で発売開始ととてつもない反響が沸き起こってきている
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12月にはニューヨーク、ボストンなどのコンサートも予定されている
上を向いて歩こうから50年の月日がたった
そんな節目の年に
突然日本の歌謡曲が世界に広がっていく
眠りから覚めた日本歌謡曲の財産とでも形容しようか・・・・
そのこと自体がとても感動的で奇跡的なことだと感じている
美しい日本語の響きを伝えられる由紀さんの世界での更なる活躍を祈念したい
 
最近世界における日本人音楽家の活躍が目覚ましい
昨年はヴァン・クライバーンコンクールで優勝した
盲目のピアニスト辻井伸之氏が一躍有名になったが
指揮者の世界でも日本人が快挙をなし遂げた
 
国際的な若手指揮者の登竜門である
ブザンソン国際コンクールは2年ごとに開催されているが
2009年は山田和樹氏の優勝
そして今年の2011年は垣内悠希(33歳)に決定した
2回連続で日本人指揮者が優勝した
 
このブザンソンオーケストラ指揮者国際コンクールは1959年に
小澤氏が優勝した音楽祭でもある
このコンクールの面白いところは審査員だけではなく
演奏したオーケストラのスタッフの評価も加味される点である
いかにオーケストラを巻き込み一体化できるか
というところも指揮者の力量であると言うことを良く表している
 
垣内氏は父は作曲家、母はオペラ歌手と
恵まれた音楽環境の中で育ち
東京芸術大学卒業後、ウィーン国立音楽大に留学し
小澤さんにも師事したことがある
小澤さんの言葉で印象に残っている言葉は
テクニックは必要ないけれど、持っていればいざというときに役に立つ
という言葉だったと言う
 
国際コンクールでは30人の中から10人、6人と絞られ
決勝ではハンガリーとギリシャの3人で争った
サンサーンスのピアノ協奏曲2~3楽章
シュトラウスのドン・ファン を指揮した
ドン・ファンでは舞うように指揮して観客、オーケストラから大喝さいを浴びた
 
彼は日本の人たちを勇気づけることができれば嬉しいと話した
現在はウィーン在住だが
今からの指揮者として世界での活躍が楽しみになってきた
 
ヨン様と言っていた韓流ブームは
日本のおばさま族には相変わらず根強い人気だ
今やそれだけではない
K-POPが日本のヤングの中で人気沸騰中である
K-POPがなぜ日本でここまで人気になるのか?
そしてなぜ日本進出を目指すのだろうか?
 
世界の音楽市場を見てみよう
IFPI(国際レコード・ビデオ製作社連盟)の資料によると
1ドル=80円換算
 
1位 アメリカ  3兆7056億
2位 日本    3兆2400億
3位 イギリス  1兆2592億
4位 ドイツ   1兆2264億
5位 フランス  7584億円
15位 韓国   1160億円
 
日本の音楽市場は年々落ちてきているのだが
世界市場から見るとまだ圧倒的なシェア
ヨーロッパの主要国を合わせてもまだ大きいほどの規模
韓国の市場は日本の30分の一程度しかない
これを考えると韓国の音楽シーンが
日本の音楽市場をチャレンジし、目指すのは当然なこと
 
日本デビューさせるK-POPのアイドルやグループは
韓国ですでに成功している確率ブランドであるということだ
韓国では数年間みっちりとダンス、歌、言語などを習得し
研修生期間を経て完成したグループや歌手としてデビューさせる完成型
その分、事務所も膨大な経費が掛かる
東方神起やKARAなどの事務所との紛争はそんなことからも来ているのかもしれない
かたや日本はジャニーズ事務所以外は育成型
AKB48を見てもお分かりの通りファンと共に成長しますといった形がほとんどである
 
重要なのは韓国音楽は独自のモデルだということだ
韓国で成功したアイドル達は中華圏やアジアを意識しそのうえで
世界第2位の日本市場をターゲットにしているのだ
日本で成功することがアジアのステイタスになりお金も入る
しかも完成型のためアーティストの個性とカリスマ性が強烈なアピールになる
そして成功を収めるとアジア全体に波及していき
そのブランド力は韓国の電気製品の広告塔にもなり
相乗効果でお互いに大きなシェアを獲得していく
まさに国家のブランド戦略ということも言える
 
少女時代のプロモーションはビートルズプロジェクトと呼ばれる成功例だ
ビートルズが日本でヒット曲を出した後
訪日し人気を博したように
少女時代も事前プロモーション出先に曲を広報し
ファンを獲得してから来日する作戦を取った
特に事前プロモーションはYoutubeとSNSを徹底的に駆使した
その結果初来日で22000人を動員することができた
日本のファンの心をしっかりつかんだ
 
今年は大本命と言われるバンバイヤ(血食男子)系の MBLAQ
今から日本各地のツアーを行う      2PM
ほか続々と完成型のK-POPが流れ込んでくる
 
かたや 出遅れた日本もやっとスピードが上がった
ジャニーズ事務所でも本格的にアジアツアーの拡大を行ってきている
そしてGRAYもアジア進出を視野に入れた台湾コンサートを決定した
しかし今年の話題は龍馬との相乗効果を狙う福山雅治だ
今までアジアの舞台とは無縁だったが
龍馬伝が昨年11月から台湾、今年1月から韓国で放送を開始
中国、ベトナムでも交渉中
これに合わせアジア第一弾CDを福山龍馬との相乗効果で
3月30日から開始させている
 
日本、韓国どちらがアジアの音楽市場を制していくのかというより
様々な切磋琢磨で世界に飛び立てる
グループや歌手をアジアで育てることができるかが重要だ
それが引いてはアジアの音楽市場の活性化につながりアジアのブランド力を強化することになるはずだ
21世紀は間違いなくアジアの時代なのだから・・・・・
 
 
フランスのある地方都市から始まった音楽祭が
世界中に広がってきている
まさに地域活性化の音楽祭だともいえる
 
1995年フランスのナント市でラ・フォル・ジュヌレ音楽祭は始まった
以来毎年12万人以上の来場者がある音楽祭に成長し
2000年からはポルトガルのリスボン
2002年からはスペインのビルバオ
10回目の2005年に日本上陸
東京国際フォーラムを会場としたラ・フォル・ジュヌレ・ジャポンが開催
圧倒的な動員力と話題性で
日本のクラシックイベントの革命とも呼ばれた
2008年から金沢とブラジルのリオデジャネイロ
2010年から新潟、びわ湖とポーランドのワルシャワ
2011年から鳥栖と広がり
日本だけではなく全世界に広がりつつある革命的な音楽祭に成長している
 
この音楽祭を最初に作り上げたのがルネ・クレマン氏である
現在は音楽祭のアーテイスティック・ディレクター
大学では音楽と経営学を勉強した
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ラ・フォル・ジュヌレはロックフェスのように気軽だけれど
クラシックの基本ルールは崩さない
伝統にも革新にも敬意を払いながら互いの良いところを
自由に行き来できる音楽祭だと・・・・
 
港町のフランスのナント市では朝から夜まで9つの会場で3日間
300のコンサートが開催されている
その金額は 700円から3000円程度
 
音楽祭のタイトルは
モーツアルトの有名なオペラの原作の戯曲となった
~狂おしき一日あるいはフィガロの結婚~にちなんでつけた名前
フランスの作家 ボーマルシェが1784年に発表したこの戯曲は
ヨーロッパ中に革命的なショックを与え
5年後にはフランス革命がおこった
音楽祭でも革命を起こしたいと思っていたのでこのタイトルを拝借した
とルネクレマン氏は言う
 
ラ・フォル・ジュヌレは日本語で言うと
熱狂の日、あるいはハチャメチャな一日とでも言うのだろうか?
 
一つのコンサートが45分から60分
しかも質の良い本物の音楽を低価格で
だから気軽に様々なコンサートをはしごして楽しめる
入場者の6割がクラシック初体験
そしてキッズプログラムも充実している
何と2007年には100万人の動員を突破したという
 
わくわくとした躍動感
イベントの熱気と地元の人とのふれあいと交流
そして何と言ってもクラシックとの劇的な出会い
そんな新しさをこの音楽祭はとても感じる
地元らしさももっと前面に打ち出すことでその土地ならではの
ラ・フォル・ジュヌレ音楽祭にできると確信する
ルネ・マルタン氏の提唱する理念を胸に
地域活性を考えた音楽祭が今後も世界中に広がっていくように祈念したい
宮崎には音楽の花咲く季節があります
とのキャッチフレーズでアイザックスターン氏をシンボルとして開催している
宮崎国際音楽祭
アイザックスターン氏がなくなり時を経て
情報発信、話題性、予算や県民の参加や浸透度など問題点も山積だ
特に今年は原発問題でぎりぎりまで開催できるかどうかの瀬戸際だったらしい
開催まで持ってこられた関係者の方々に敬意を表したい
 
さてそんな時に財団法人びわ湖ホールの
マーケティング部長に就任された浅野令子さんからお誘いがあり
4月29~30日に開催されたラ・フォル・ジュルネ音楽祭にお邪魔してきた
浅野さんは以前NPOの京都研究会の事務局長時代に
宮崎で行われた全国マルチメディア祭にパネリストとしてお越しいただき
それから、お付き合いをさせていただいている
 
実はこのラ・フォル・ジュルネ音楽祭は以前から注目していたもの
日本では2005年にゴールデンウィークに東京国際フォーラムで初めて開催し
クラシック業界の常識を変えたと言われる音楽祭だ
音楽の質、金額、動員数
カジュアルに気軽に楽しめるこの音楽祭はクラシック界に
大きな衝撃を与えた
そんな意味でも一度機会があれば見てみたいと考えていた
びわ湖は2010年から開催し、昨年は2万人を集めたようだ
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今回のテーマはウィーンのベートーベン
ホールにつくと外観からビジュアルのインパクトがお迎え
エントランスを入るとセンターホワイエでは質の高い無料コンサートが
観客も熱気むんむんだ
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さあ 大ホールのオープニングコンサート
この大ホールは贅沢なものがある
それはホールホワイエからびわ湖が眺められること
日本でここしかない素晴らしい眺望である
 
最初にアーティステックディレクターのルネ・マルタン氏が登場し
原発のため代役を引き受けてくれたシンフォニア・ヴァル・ソヴィアの楽団と
指揮者のゲオルグ・チチナゼに感謝の意を表し
そして大震災のため被災にあった方々に追悼の意を表して
最初にG線上のアリアを演奏
厳かな演奏は心に染透るほどだった
ベートーベンのピアノ協奏曲4番はラ・フォル・ジュルネ音楽祭の顔ともいえる
アンヌ・ケフェレックのピアノの演奏が詩情的でとても良かった
 
次の中ホールのコンサートは
熟年のジェラール・プーレのバイオリン
18歳でパガニーニ国際音楽祭で優勝した経歴も今ではいぶし銀の魅力だ
 
最後の小ホールのコンサートは
日本が世界に誇るバイオリンの名手 竹澤恭子と
アンヌ・ケフェレックのピアノの演奏
ヴィニアフスキーが奏でるベートーベン・バイオリン・ソナタ第5番
うららかな春の素晴らしさを醸し出す
まさに白眉のコンサートだった
3回のコンサートを聴いて価格はなんと5000円の安さ
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写真中央が浅野さん      オリジナルグッズ

ホールスタッフ50人、ボランティアスタッフ50人で運営しているという
特に今年は原発のレベル7の影響でゲストがぎりぎりまでわからず
苦労されたようだが、ここまでの盛り上がりをみると
観客としても楽しいものだ
横の客さんから去年よりもいいねという声が聞こえてくる
屋外でも大道芸、吹奏楽、グルメコーナーと盛りだくさん
ただグルメコーナーはもう少し地産地消の工夫が欲しいと感じた
 
気軽にクラッシックの本物を格安ではしごできる音楽祭
全体的によく工夫がされてあり
地元の参加型など多くの試みがとても微笑ましいと感じた
まさに地域の活性化をふんだんに盛り込んだ音楽祭になっている
これからは浅野さんのバイタリティでびわ湖ホールをもっともっと盛りあげて欲しい

宮崎国際音楽祭の将来の在り方にも
参考になる点がたくさんあると感じた音楽祭だった


2月に仙台や岩手を訪れたばかりだった
それから1ヶ月後、こんな悲惨な状況になろうとは・・・・・
 
地震、津波、そして思いもよらない原発事故
一瞬で消えた町
死者、行方不明は1、5万人を超え、避難生活を送る人は今でも40万人を超える
これが日本国内だということこそ考えられない異常事態である
応援物資を送ろうとしても関東までしか送れない現実
 
原発事故では情報開示など不透明な点が多い
 
大前研一は
日本の原子力発電は終わったと切って捨てた
特に3号機はプルサーマルで命がけで説得してやってきたもの
もう民間企業が巨大リスクをかかえられない
これ以上は国がやるしかない
事故に対する設計思想が甘い
今回緊急時に対応できる日本の優秀さはなかったと
 
 
あれだけ緻密な日本人がやっても事故が起きた原子力発電の
怖さに外国は急ブレーキがかかった
ドイツのメルケル首相は老朽化した原子炉6個を停止
緊急点検するように命じた
ニューヨークタイムスは
日本は破壊的な地震と津波の後の原発事故に
人道的危機と核的危機に直面してると報じた
 
(ロイター通信 16日ブリュッセル)
EUエネルギー担当のエッティンガー氏の発言が世界を驚かせた
福島原発事故は事実上制御不能
この発言が引き金となりアメリカ、ヨーロッパの株価が急落
円高も一挙に進みニューヨークでは史上初の76円台まで突入した
 
在日米国大使館は16日付けで半径80キロ圏内に居住する
アメリカ人に避難勧告を出した
フランス政府も早く帰国するか日本の南部に避難するように避難勧告を出した
 
日本政府の状況判断となぜ世界はこんなに異なるのだろう
外国の原子力発電関係者の多くは
今回の福島原発の事故はスリーマイルを越えて
もうレベル6の大きな事故だと認識している
 
情報判断の甘さ、対応能力の遅れ、情報開示
被災者の苛立ちは予想以上になってきている
三重苦に株安、円高が追い討ちをかける
今からの日本に立ちはだかる大きな困難を暗示しているようにも見える

被災者がとてつもない人数になっているさなか
新しい曲が3月14日に産声を上げた
宮城県出身の作曲家 菅野よう子が作曲した
作詞はコピーライターの一倉宏
曲名は 『きみでいて ぶじでいて』
ふとしたときに耳にしたのだが
しみじみとした歌声が
ゆっくり静かに心の中に浸み込んで行く
そして暖かい感動が心を包む
 
すべてをなくしても頑張らなきゃと思っている人々がいる
そして日本だけではなく世界各国から暖かい救助の手も差しのべてもらっている
この曲を聞きながら
すべてをなくしたけど生きているだけでいいとコメントした女性の顔が思い浮かんだ
この曲が被災された皆さんの静かな応援歌になってくれればいいと思う
 
人という文字は支えあうという文字
危機のとき皆で支えあって生きてこそ日本人なのだと切に思う


1月3日にNHKで放送された
世界のマエストロ〜入魂の1曲〜を見て・・・・
 
小澤征爾 75歳
一体なぜ、たった一人の人間の覇気が
これほどまでに演奏者と音楽を変え、世界の観客の感動を起こしていくものなのか
小澤征爾が今の日本に存在していること自体
私にとっての励みであり活力の源泉であると深く感動した
 
改めて小澤征爾のプロフィールを紹介してみよう
 
1935年 中国の奉天に生まれる
      小澤家4人兄弟の3番目
1941年 日本に引き上、東京立川市に住む
1948年 成城学園中学校に入学
      日比谷公会堂の日響のコンサートでレオニード・クロイツァーが
      ピアノを弾きながら皇帝を指揮したのを見て指揮者になろうと決心 
      遠い親戚でもある 斉藤英雄を訪ねる
1952年 桐朋学園音楽科の指揮科第一期生
1955年 桐朋学園短期大学に入学
     斉藤英雄の厳しい指導の下卒業後も行動を共にする
 
1959年2月1日 富士重工からラビットスクーターを借り
     貨物船で神戸からマルセイユに渡る
     2週間かけてバイクの宣伝をしながらパリに・・・
     まさしく無邪気さと好奇心が一体となったハングリーさが微笑ましい
     小澤にはこれだけで終わらない実力があった
1959年9月
    たまたまパリ滞在中に知ったブザンソン国際指揮者コンクールで優勝
    これが小澤の怒涛の活躍の世界デビューの出発点となる
1960年5月
    ベルリンでカラヤンの弟子を選ぶコンクールで優勝
    ヘンベルト・フォン・カラヤンに師事する
1960年7月
    アメリカのタングルウッド音楽祭の指揮者コンクールで第1位
    クーゼヴィッキー大賞も受賞
1962年6月
    NHK交響楽団の指揮者に就任するが12月団員のボイコットにあう
 
これがきっかけで再度ニューヨークに渡る
1962年から4年間タングルウッド音楽祭の監督をつとめていたが
1973年
    38歳の若さでボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任
    以来約30年間  地元ファンからの人気、評価は圧倒的で
    1985年の彼の50歳の誕生日コンサートには17734人の聴衆を集めた
1998年
    長野オリンピックの音楽監督
2002年
    ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートに
    東洋人指揮者として始めて指揮台にたちその模様は65カ国に中継された
    ウィーン国立歌劇場の音楽監督も2010年まで努めた
 
小澤征爾は昨年食道がんの手術を終え
2010年9月5日からのサイトー・キネン・オーケストラの復帰を目指していた
1992年から始まったこの音楽祭は彼が師事した
斉藤英雄没後の10周年の1984年に世界各地の斉藤の弟子たちが
集めメモリアルコンサートを開いたことがきっかけだ
 
彼は世界各地からの招聘を断り、あえてこのコンサートだけに集中専念していた
癌は克服したが15キロも痩せた為に腰の筋肉もなくなった
腰の筋肉が体を支えることが出来ない
結果、持病の腰痛が悪化する
主治医の先生からは制限時間10分の宣告を受けたと告白した
そんななかで
彼が選んだ曲は チャイコフスキーの弦楽セレナーデ 第一楽章
 
リハーサルも20分したら休息することが主治医の条件
しかしリハーサルの熱情は病気を持っている75歳の人間とは思えない
凄みがある
情熱を全身全霊で表す彼の姿勢は指先一本で
音楽そのものに命を吹き込んでいく
 
本番の7分間
指揮をしている姿そのものが魂の叫びだ
情熱をとことん体にこめて全身の動きでスイングする
そして圧倒的な目線の強さ
それはまるである種、舞踏家のようでもある
独自の1人舞踏とともに彼の音楽が作り出されていく
 
かって斉藤英雄が小澤に言った言葉がある
『 日本人は真っ白だから西洋人より有利だ 』
 
小澤は言う
それはどうだったかといわれるとそうでもないと思う
ただ日本人がどこまで西洋音楽を理解できるかという壮大な実験をしてきた
実験の結果は私が死んだあとに誰かが判断することだと語り
 
75歳という年齢を超えてなお
自分の中にあるすべての才能や情熱そして経験を
音楽や若い人の教育に情熱的な活動を繰り広げている
 
全力を尽くす努力とあくなき探究心
私も小澤さんの千分の一でも見習いたいと心から想った
 
 
NHKドラマ ハゲタカはある意味NHKドラマの歴史を変えた
ダークな色調と意外性のアングルが印象的だった
M&A、バイアウト、など専門的な金融用語が飛び交いながら
外資系ヘッジファンドと日本企業の生き残り策や人間の生き様を鋭く切り取った経済ドラマだ
私も毎週わくわくしながら見た一人だ
スリリングなストーリー展開に音楽の重厚さが一段とドラマの魅力を増した
この音楽を担当したのが佐藤直紀氏だ
 
そしてALWAYS三丁目の夕日では日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞
そのサウンドクリエイターとしての地位を不動のものとし
海猿、WATERBOYS など話題の映画、ドラマに引っ張りだこである
 
そしてハゲタカで一緒に組んだNHKの大友啓史氏からオファーが舞い込む
大河ドラマの歴史を変える
そして創造する現場を作り上げて行きたいと・・・・
 
大友氏は佐藤氏に音楽を依頼する時、思うことは唯一つ
GROOVE感を付与することだと言う
音楽と映像の一体感、それが渾然一体となってマグマのようなエネルギーになって噴出する
 
佐藤氏は勝負だと思ったと言う
大河ドラマ的音楽を壊しながらもスタンダードとなりうる音楽
雄大なスケール感とエネルギーの咆哮
日本の篠笛にも似たアイスランドのティン・ホイッスル、トルコの民族楽器サズの
和音との微妙なずれが大きな宇宙の拡がりを逆に感じてしまう効果となっている
ボーカルを歌っているネオ・クラシカルの旗手 リサ・ジェラルドは
神に語りかけるように歌ったという
彼女のボーカルがメロディに厚みを増し
今まで聞いたことのない大河ドラマの世界観と色そして臨場感を感じさせてくれる
 
テーマ曲は胸のすくような圧倒的なメロディと神秘的なボーカルで
龍馬伝の抒情詩をダイナミックに歌い上げている
大友氏は言う
佐藤さんは、見事に受け止めそれ以上のエネルギーで勝負してきている
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私のお気に入りは龍馬伝2の楽曲 想望だ
雄大な海辺の向こうに夕日が沈んで行き、あたりが夕闇に包まれていく
そんな瞬間を感じるスケール感と同時に切なさ、寂しさをも感じる曲だ

 
 
 
服部克久さんとのお付き合いは長い
かれこれ20年ぐらいになるだろうか・・・・
オーケストラの魅力と音楽の豊かさなどを教えていただいた人でもある
そして地域活性化イベントにおける音楽の重要性を肌で体感させて頂いた人でもある
 
1991年大淀川夕日コンサート(南こうせつ、サーカス)が私と
初めてのコンサートだった
宮崎市大淀川の河川敷に2万人もの人が集り
南こうせつにとっても、このコンサートが新しいスタートに
なったと言われた印象深い野外コンサートだった
1992年は日向市ムーンライトコンサート
そして1999年のグリーン博のオープニングコンサート
宮崎市観光協会のテレビCM、高千穂音楽祭

そして2005年、館長になられた都城市総合文化ホールでのコンサート
2009年には宮崎市での岩切章太郎賞20周年記念コンサート
(佐藤竹善、安倍なつみ)などなど本当に長く、有り難いお付き合いを
させていただいている
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さて今回、服部克久氏は都城市総合文化ホールの終身名誉館長に就任
その記念のコンサートが2月27日開催された

スペシャルバンドとパンフルートの岩田さん、トワ・エ・モアの
白鳥英美子をゲストに楽しい歌と演奏とおしゃべりの90分だった
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服部さんには長峯都城市長から記念の盾が贈られた
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この盾は宮崎の芸術家、立山修平氏が3ヶ月の歳月をかけて
釜で焼き上げたものだ
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"カルチャーファースト" とキャッチフレーズが入れ込んである
この言葉は服部さんいわく
人間が人間らしくあるためには文化が大切だと言う意味
そしてこの盾はメインホールのホワイエに展示されるようだ

 久しぶりに聞くパンフルートの音色は心が洗われる
グリーン博時代、局長だった島崎さんは大のパンフルートファン
わざわざ都城までコンサートを聴きに来ていただいた
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パンフルート奏者の岩田英憲さん(左)と島崎さん
 
服部さんと白鳥さんが言っていたが
最近いい楽曲がどんどん教科書から消えていっていると言う
コンサートでは『早春賦』を楽しんだが、この曲も消えたようだ
教科書からも日本のふるさとは消えようとしているのかも・・・・
 
久しぶりに聞く白鳥さんの歌声も澄み切って心が安らぐ
『空よ!』を歌ったときには大きな拍手が沸き起こった
最後に会場全員で歌った『ふるさと』で心が一体となった
良いコンサートだった
 
ここしばらく体調もすぐれなかった服部さん
ようやく元気も回復されたようで、ますます日本の音楽界と宮崎
のために頑張っていただきたいものだ
素敵なコンサート ご苦労様でした そして有難うございました
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スーザン・ボイル

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イギリスのオーデション番組で一躍話題の人となったスーザンボイル
母の介護、教会のボランティアをしながら生きてきた
独身でキスの経験もない
これからは自分のために生きなさい、と言う母の一言でオーディション
番組に応募
 
YOUTUBEの映像で笑いと涙と感動を共有した人の多さは
3億プレビューととてつもない記録でわかる
私も何度このプレビューを見たことだろう
 
 
オーディション番組では決勝に敗れたものの
話題の人となっただけに、彼女も暴言などがあったが
様々な中傷やカメラに追いかけ回される日々は
彼女にとって大変つらい日々だったようだ
やっと立ち直りデビュー版が発売された
タイトルは  『夢やぶれて』
番組で歌った曲だ
番組上はこれで彼女は夢破れたのである
 
声の豊かな表情は天性のものだ
落ちついてゆったり聞ける
次はオリジナル作品で歌って欲しい
生で聞いた方が多分インパクトがあると思う
まさにYOUTUBE発、48歳の歌姫 スーボーの誕生だ
 
今年感動した感謝の印はCD1枚を買うことで許してくださいね、
スーザン・ボイルさん!

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