丸亀商店街(高松市)

アーケードを作ると商店街が衰退していく
そんな話を実感しだしたのは何年前からだろう・・・・
日本各地の商店街の衰退が止まらない
シャッター通りと化した商店街のなんと多いことか
 
そんな商店街の多い中でひときわ目立った商店街が高松市にある
地域活性化のため、自分たちのため
1990年ごろから丸亀商店街の新しい取り組みに挑戦した
 
実は丸亀商店街には懐の深さがあった
この商店街は1972年に車社会に対応し
駐車場取得にあたって。商店街に不動産の貸与を行うことを目的とした
丸亀町不動産株式会社を設立していた
この会社の益金をもとに商店街活性化の模索をしていたところが
ほかの商店街と大きく違うところ
 
さて当時の鹿庭理事長が将来の商店街に危機感を感じコンサルに依頼する
理事長にコンサルを紹介された明石さん(当時靴屋経営)
は最初心もとなく思ったという
 
コンサルの名前は西郷真理子
明治大学建築学科卒、在学中から
京都、金沢など歴史ある町並みの調査を通じて
居心地の良い街は住民自らが街に誇りを持ち
街づくりに積極的にかかわっていることに気が付く
以降
住民による街づくりを手伝う建築家を目指して
32歳で川越市の蔵造を保存する運動に参画したことで
西郷流の街づくりの手法が確立した
 
西郷さんは驚く再生案をプレゼンする
商店街で会社を作りその会社が商店主から土地を借り上げ
まったく新しい商店街を作り出す
ということだった
店舗の配置を変え、業態ごとのバランスも配慮して
お客が集まりやすい商店街に変えていこうというものだった
しかし商店主にとっては移転も
あるいは業態転換も図らなければならない
そんなプランに商店主は猛反発
明石さんや西郷さんの苦闘の歴史は始まる
 
大きなハードルは2つ
1つは70億円という大きな建設費
そしてあと1つは商店主の説得だ
話し合いはゆうに1000回は越えた
明石氏も家族をやっと説得してうどん屋さんに変える決断
自らうどん修行にも行った
 
2003年ついに銀行の融資が決まる
2004年12月着工
2006年12月壱番館がオープンした
ショップの上はマンションになっている
明石さんのうどん屋さんも人気店の一つだ
街の中でも人口が増えていった
 
現在街づくりは進行中
丸亀町はどんどん進む街、進み続ける街
というキャッチフレーズが示す通り多彩な計画が目白押しだ
 
商店街の売り上げは以前の3倍の30億円
通行量も1.5倍に増加
まさしく日本の商店街の活性化の稀有な成功事業例として注目を浴びている
 
現古川理事長の言葉が、西郷さんの人となりを表している
『鉄の女、ぶれない女』