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命をつなぐ映画

風に立つライオンの歌を聴いたのは
宮崎にあるかすみというスナックで2011年のことだった
かすみのママはさだまさし宮崎の後援会長を自他共に認めている存在
 
アフリカに行った医師が
日本に残した恋人に宛てた手紙の形でさだまさしが歌詞をつけた曲だったが
アフリカの大自然の雄大さや素晴らしさと
曲の壮大さと歌詞の心の素直さが印象的で
いつまでも耳と心に残った曲となった
さだまさしが1987年に作った名曲だ
ヒットはしなかったもののじわりじわりと売れ
今ではさだまさしを代表する曲の一つとまで言われている
 
聞くとそのモデルは今宮崎在住で
その名を柴田紘一郎先生という
現在サンヒルきよたけの施設長である
 
柴田先生はさだまさしのお父さんと親友で良く長崎で飲んでいたようだ
その飲み会にさだまさしはおつきあいをしながら
柴田先生のアフリカでの話を聞いていたようだ
それが12年の期間を経て1987年に歌になり
2011年の東日本大震災を機に
命をつなぐをテーマにさだまさしが構想を考え
25年の期間を経て2012年に本となり出版された
このころから映画化の動きが始まっていく
そして3年の月日を経て映画となったのがこの『風に立つライオン』である
まさに構想から40年で歌、本、そして映画が完成したのだ
 
主演した大沢たかおの想いもすごかったようだ
どうしてもこれを映画化して主演したい
彼の想いが作品となったことは
企画に大沢たかおのスーパーが出てくることでもよくわかる
映画自体は小説を忠実に再現している
それを生かした三池監督の直球の凄さ
三池監督はこんな人間ドラマも取れるのだと証明してみせた作品ともなった
 
長崎大学から恋人を残しアフリカの医療現場に派遣される航一郎
まるで戦場みたいな医療現場で
今までと違ったショックを受けながらも医者としての使命に火がつく
くじけそうになる自分自身に頑張れと大声で叫び続け
ケニヤの子供たちとの交流が少しずつ広がっていく
 
少年ながら麻薬を打たされ、戦場で人殺しをしていたンドゥング
航一郎の温かいまなざしにいつしか少しづつ彼も心が開いていく
クリスマス、サンタクロースになった航一郎からの銃のプレゼントに
ンドゥングは銃を火に投げ込み初めて告白する
僕は9人人を殺した
医者なんかになれるはずもない
航一郎は言う
9人殺したのなら一生かけて10人の命を救え
未来はそのためにあると・・・・
そして航一郎は聴診器をンドゥングの首にかけてあげた
 
航一郎はその後、銃撃で行方不明になるが
ンドゥングは医者の道を目指し医者になった
2011年直後東日本大震災の被災地を訪れ子供に声をかける
私はミケランジェロ航一郎ンドゥング、医師ですと
 
命をつなぐリレーは日本からアフリカに渡り
アフリカからまた日本に戻ってくる
この壮大なヒューマンドラマが目頭を熱くする
 
大沢たかおのこの映画に対する想いが演技にも良く現れている
恋人役の真木よう子の抑えた演技もいい
最後まで行方不明となった航一郎の帰りを待ちながら
ケニアの孤児院を育て守った看護婦役の石原さとみも存在感がある
 
今の日本の医療現場も大きな問題を抱えている
中山間地域の医師不足だけではなく
国際的には戦場の場所も多く
日本以上に世界は医師不足の現実の大きな問題が横たわっている
 
映画のエンディングでのテーマソングを観ながら
人間とは何か?
人生とは何か?
そして想いとは何か?
いろんなことを自分自身に淡々と問い詰めてくる感動的な映画である
 
この映画はできるだけ今の若い世代に見て欲しい
次の日本を担うのは若い世代なのだから・・・・・・・
 
そして最後に
スペシャルサンクスの最初に柴田紘一郎の字幕が出てくる
柴田先生という存在がいなかったら
歌も本ももちろんこの映画もできることはなかた
改めて柴田先生に感謝しながら映画館を後にした