ミ―ファーストの時代(さだまさし)

さだまさしの書いた「やばい老人になろう」という本に

ミ―ファーストの時代のエッセイが

とても共感するのでご紹介したい

ミ―ファーストの時代

僕は「風に立つライオン」にこんな詞を書いた

やはり僕たちの国は

残念だけれど何か

大切な処で道を間違えたようですね

当時の日本の未来を危惧して書いた一言なのだが

あのころから日本の在り方はやっぱりちょっとどこか違ってきた、

ずれているのではないか、そういう思いがたくさんある。

近代社会のへ道を間違えたのは、明治維新のときだろう。

新しい時代への処し方が、この国を大きく変えてしまったのだ。

日新日露戦争、第一次大戦、日中戦争、太平洋戦争という歴史の中で

帝国主義に身を任せたこと、地政学的に言えば英国を手本とした海洋地政学から

中国を目指したがゆえにドイツ式の大陸地政学に変えたという事が

日本の大きな欲望の上の失敗だったと思う。

これほど大きな失敗をしたにもかかわらず、戦後になって日本人は

国家社会主義を実現したのである。

もちろん異論はあるけれど、やはり終身雇用、年功序列、親方日の丸という

システムはもう国家社会主義と呼んで良いだろう。

全員が貧しい時には、それでよかった。

「もっと自由を」と思い始めたころから

戦後の高度成長と「国家社会主義」が崩壊する

そこからさらにアメリカ的資本主義に取り込まれていくのだ。

「やっぱりほら、これで良かったじゃない」

そう思い始めていた時代に、僕は「風に立つライオン」を書いた

バブルの真っただ中、1897年のことである

「残念だけど何か、大切な処で再び道を間違えた」

-そう思えて仕方がなかった

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かってある企業が、世界のティーンエイジャーに

「不安に思うことは何か?」というアンケート調査をしたことがある

どの国も多くの子供が「国の未来」と答えたのに

日本の子供たちでそう答えたのはなんとゼロパーセントだった。

このままでは日本は滅びるとショックを受けた

これも日本という国が間違ってしまった象徴的な出来事ではないかと思う

若い人たちが見ているものは「日本」ではない

あくまでも「自分」なのである。

「ミーファースト」と言っていい。

「自分がこうなりたい」「自分はこうしたい」

「こうなったら恰好いい」「儲けたい」

だから尊敬する人はお金持ち。

金さえあれば、どんな生き方をしていても尊敬されるのである

それは昔から「拝金主義」と呼ばれてきた

日本はいつの間にか拝金国に成り下がってしまった。

金には勝てないという事だ。

確かに、現代社会を生き抜いていくために、だれも金には勝てないかもしれない。

それは責められない。責めるつもりもない。

だがその先の未来を見られないのは、やはり「教育」のせいだと思わざるを得ない

本当の意味での教育をこの国が見失ってしまったのだ。

こんなときこそ、知識が豊富で、どんな頼みも共有してくれ

何か一つスゴイものを持っている「やばい老人たち」から学ぶものがあるはずである。