酒の渚(さだまさし)

「風に立つライオン」のモデルとなった柴田紘一郎先生から

さだまさしさんの書かれた

「酒の渚」という本を進呈していただいた。

私が酒に詳しいので是非読んでいただきたいということだった。

 

柴田先生の優しい心配りに感謝しながら

さっそく読んでみた

さださんの様々な酒と人との出会いが

文章を読むだけでくっきりとした映像となって浮かんでくるようだ

ホテルプラザのマルコポーロというバーの話

京都先斗町での鳩のママさんの話

新潟のオヤジから教えていただいた日本酒の話等々

そのなかで柴田先生の話も出てくる

そして何より風に立つライオンの歌の誕生した訳が

酒とともにあったということもとてもうれしい!

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三十年以上も昔の話

「風に立つライオン」のモデル、柴田紘一郎先生は

宮崎医科大学(現 宮崎大学医学部)に助教授として招かれ

長崎を去った。

ふらりと宮崎に行って大学病院を訪ねると

柴田先生はいつも病室にいて、

爺ちゃんやばあちゃんの手を握って何時間でも話を聞いていた

これこそ名医だと思った。

僕らはいつも宮崎市内の繁華街にある赤玉駐車場の奥の店

くし幸に集合した。

柴田先生の幼馴染井上さんが一人で切り盛りする美味しい串揚げ屋だった。

・・・・

当時僕は、20歳の時に聞いた

柴田先生の語るケニアを歌にしたいと頑張っていたのだが

出会ってから10年を過ぎても

その歌は僕に降りてきてくれなかった。

なぜ大学病院での貴重な時間を捨てて

アフリカに行ったのかが不思議で、飲む度に

「先生、なんで医者になってアフリカに行く決心ばしたと?

と聞いたが、いつも真っ赤になって

「いいや、つまらん理由ですたい」と笑うばかりで

決して教えてくれなかった。

・・・・・・

井上さんは黒龍のしずくという酒を置いた

すっきりとフルーティな吟醸香が美しく

鼻から目に抜けた気がした

・・・・

柴田先生は手術の疲れもあってさすがに酩酊した

これはチャンスと、いつもの質問をぶつけてみたら

とうとうその答えが返ってきた

「小学校4年の時に、伯父貴がくれた本に感動して

僕はああ、医者になりたかなあって思うたとですたい」

何ていう本ですか?

アフリカの父っていう本ですたい

シュバイツアーの伝記だ

成程、この人がアフリカに行かなければならない理由は

それだったのかと僕は膝を打った。

この直後に「風に立つライオン」という歌は

ようやく僕に降ってきてくれたのだった。

柴田先生からケニアの話を聞いてから15年目

僕は三十五歳になっていた。

 

寄せては返す酒の渚で、さだまさしが成長していった

人、酒、の日々

堪能できる一冊である。