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風に立つライオン

宮崎にさだまさしの名曲『風に立つライオン』のモデルとなった人がいる
その人の名前は
柴田紘一郎先生(現介護老人施設 サンヒルきよたけ施設長、元宮崎県立日南病院長)だ
 
柴田先生は小さいころマンガ 『少年ケニア』を読み
シュバイツアーにあこがれ
長崎大学医学部の時に海外青年協力隊として
ケニアに3年間巡回医療の実体験を経験したのだ
 
その話を聞き
さだまさしが風に立つライオンの歌を作ったのある
 
さだまさし  アルバム『夢回帰線』 より
 
僕の尊敬し、愛する医師がいる。
酔った時に一度だけ彼が医師になった理由を聞いた。
少年のころシュバイツアーにあこがれたのだ。
そうして本当に医師となり
本当にケニアに巡回医療の医師として出かけて行った。
酔うと少しだけ饒舌になる彼は、
遠くを見るように宙を見つめながら
僕にケニアの大自然を語った。
そんな時、彼はいつも少年になる。
 
彼は極めて優秀な外科執刀医である。
故に人の生命に対して敏感である。
人々の生と死の間の戦いを共に戦うのだと彼は言う。
仮に助かってもそれは医師が助けるのではなく
神様が助けるのだと彼はまじめな顔で言う。
駄目な時もある
その度に、現代医学では絶対に無理だとわかっていても
自分以外の誰かが執刀したら、
もしかして助かったのではないかと悔やむ人なのだ。
 
もしも彼が言うように、人が助けるのではなく神が助けるというのなら
もしかしたら、彼は天使ではないかと思うことがある。
それに彼は優しく温かい。
 
『僕はのたれ死ぬとです』
彼は酔いが回るとそうつぶやく。
生命の尊厳と常に対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。
 
ケニアの大自然の中で
彼は神と共にあったのかもしれない。
この歌はそんな彼の青春の一片を歌おうとした。
 
僕も、僕の草原の、風に立つライオンでありたい
この歌を宮崎医科大の柴田紘一郎先生に捧ぐ。
 
今回TSUKEMEN宮崎コンサートの主催者として、
いろんなところにお願いに機会があり
柴田先生ともお会いすることができた
豪快でありながら優しい印象だった
大陸君も良く知っているし私の家は健太君の実家とはそばだし・・・・・
是非満員にしたいですねという言葉と行動は我々を勇気づけてくれる
 
さだまさし後援会の宮崎の取りまとめが『かすみ』
というスナックのママのかすみさんである
70歳を過ぎているが気が若くてとてもチャーミングである
宮崎でさだまさしのコンサートがあると2次会はここと決まっているようだ
かすみさんもTSUKEMENには大変な協力をいただいている
そしてここでは、
実際のケニアの大自然の風景と若き柴田先生の医療現場を映像で見ながら
風に立つライオンを楽しむことができる
一度見せていただいたが感動的なビデオである
 
柴田先生の人となりが良く現われているのが
歌ができた直後にさだまさしに送った葉書である
『まさしさんはこれは僕の歌だというけど、
これは風に立つライオンという歌であって
自分はこの歌のヒントになったに過ぎない。
だけど僕はあなたの描いたライオンに一歩でも近づくために、
これからも頑張って行きます』
 
おおらかさ、謙虚さ、そして覚悟
宮崎の1人の医師の生き様がさだまさしの心を打ち
歌になり人々の心に大きな感動をもたらしてくれるばかりか
医師を志す人にとっても感動的なメッセージになっている
医師とは何か、人間とは何か?
そして生きるとは何かを深く考えさせてくれる・・・・・・
『風に立つライオン』
ぜひ機会があればお聞きいただきたい