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輝く自分色の銅メダル

ロンドンオリンピックが開幕した
さて内村も団体の体操の屈辱を晴らして個人総合で金を取った
あれだけのプレッシャーの中、
土壇場での内村の金メダル獲得は素晴らしかった
 
しかし私は宮崎県人ということもあるが
競泳の松田選手の銅メダルが一番輝いて見える
 
松田の苦しみは2008年北京オリンピックの前から始まっていた
その頃英国スピード社の『レーザー・レーサー』を世界の各選手が着用し
新記録を連発していたのだ
松田は葛藤の上、所属のミズノではなく英国社製の水着を着た
レース直前に久世コーチからミズノに連絡をしたとはいえ
スポンサー契約の選手にとっては禁じ手である事は理解していた
結果北京では銅メダルを獲得した
 
しかしのしかかってきた代償は彼を苦しめることになっていく
2008年ミズノとの所属契約が満了になると当然ながら更新はなし!
直後レオパレス21と契約したが
業績悪化で一年で契約を打ち切られた
松田選手と4歳から教えている久世由美子コーチは
600社に支援を頼む手紙を出したが良い返事はなかった
ここが辞めるタイミングかもしれないとも考えた
 
しかし最後のお願いで2010年5月
地元延岡の清本鉄工の清本英夫社長を訪ねた
松田の真剣なまなざしを見ると
清本社長はは何とかしてあげねばと思ったという
清本社長が呼びかけ、地元の企業12社とコスモス薬品がバックアップすることで決定した
 
松田はビニールハウスプールがホームプールである
東海(とうみ)スイミングクラブが東海中学校の屋外プールを借り
父母のカンパを募ってビニールで覆ったものである
まさにこのプールは松田のハングリー精神を見事にあらわしているよう
今でも1年の3分の一はここで泳ぐという
毎年元旦になると白板に久世コーチから目標が書き込まれる
2012年は
己に克つ 勝っておごらず、負けてくさらず
この目標は一年間消されることはない・・・・・・
 
支援スポンサーが見つからず苦しんだ間も
絶えず松田は速く泳ぐための改善を次々と重ねていた
軸がぶれないチーターの走りを研究し上下動の少ないフォームを追求
昨年からは水中のドルフィンキックの強化に励んだ
そして最後まで金メダルにこだわった
 
決勝レースはフェルプス、新星レクローとの3つどもえ
松田の最後の50メートルの追い上げはすさまじいものだった
結果は3位だったが会心のレースでした
と松田の言葉がすべてを物語っている
 
苦難から這い上がって取ったメダルの色は北京と同じだが
はるかにロンドンの銅メダルのほうが大きな価値がある
日本競泳チームのキャプテンでもある松田
まだ20代の若さなのだが
ふとした瞬間に見せる顔は松井秀喜にも似た、達観した表情を見せてくれる
苦難を乗り越え闘う姿は多くの人々に勇気と希望を与えてくれた
雑草魂のスイマーはふるさとの皆んなと共に自分色に光輝くメダルを手にしたのだ