なぎさホテル(伊集院静)
伊集院静氏が若き時代に
どうして絶望から再生ができたのか
そのことを自叙伝として書いているのが「なぎさホテル」だ
久しぶりに再読してみた
広告制作会社を訳あって辞め
妻子とも別れ、東京を捨て、故郷に帰ろう
と思っていた彼はふと海が見たくなり
逗子の駅に降り立つ
海岸線を歩き、昼過ぎぼんやりビールを飲みながら
海を見ていたら
昼のビールは格別でしょうと声をかけてくれたのが
I支配人との出会いだった
どこか近くに長逗留できる宿はありませんかと尋ねた
この後ろも古いですがホテルですよと言われ
いつの間にか7年と言う時間をここで過ごすことになる
逗子なぎさホテルは1926年湘南で始めて建てられた洋館式のホテルで
明治時代にスイスにホテル経営のため留学した岩崎家一が設立した
当時皇族の御用達ホテルでもあり
木造建築2F建ての美しい建築は逗子、葉山の象徴でもあった
関東大震災、太平洋戦争後の駐留軍の接収などを経て
その後も多くの人に愛され、平成元年62年の歴史を閉じている
その間、現天皇陛下の昼食の来訪など
様々なエピソードを残している
1978年から1984年の7年余り
I支配人は海の物とも山の物ともわからぬ飲んだくれの青二才を
いつも温かい目で見守ってくれた
お金はあるときでよい
旅行に行く時はお金を用意してくれ
ホテルのだれもが優しく見守ってくれた
7年間のホテルでの時間は、伊集院静氏にとって
作家として生きるための基礎の時間だったと思うし
夏目雅子とのつきあいもこのホテルがあったからこそ
結婚までたどりつくことができたのだと思うほどだ
外国航路の船乗りだった
I支配人との面白い会話が出てくる
何故大丈夫だと思ったのですかと言う伊集院氏の問いに
野良犬が私とあなたにしか尾っぽを振らなかったからだと答えた
あとがきで伊集院氏はこのように書いている
仕事場においてある”逗子なぎさホテル“のマッチを見る度
私はあの海が見えていた窓辺を思い浮かべる
この20年間、私が作家として何らかの仕事を続けられてきたのは
あのホテルで過ごした時間のおかげではなかったかと思うことがある
・・・・・・・
私の記憶の中にはあの優しかった人たちの笑顔と
まぶしい逗子の海の光はずっと消えずにある
停止した正午の針のように・・・・・