
柴田紘一郎先生ご逝去(2025年2月19日)
さだまさしの代表曲ともいえる
「風に立つライオン」のモデルとなった柴田紘一郎先生が
2025年2月19日ご逝去された
TSUKEMEN宮崎コンサートの主催者として
2012年に柴田先生にお会いしたのが最初であったように思う
以来、柴田先生とは大変仲良くさせて頂き
TSUKEMENのコンサートのご協力をはじめ、
打上でも必ずご一緒していただいていた頼もしいサポーターでもあった

私の依頼した講演にも笑顔で快諾していただたこともある
人格者でお酒を愛する豪放な人でもあり
私も大好きな尊敬する人の一人でもあった
柴田氏はさだまさしのお父さんと仲良しで
いつも2人でお酒を酌み交わすほどの仲だったのだそうだ
その時に柴田先生のアフリカで巡回医療をされた時の話を基に
風に立つライオンの構想を練られたとか・・・・・
さだまさし アルバム『夢回帰線』 より
僕の尊敬し、愛する医師がいる。
酔った時に一度だけ彼が医師になった理由を聞いた。
少年のころシュバイツアーにあこがれたのだ。
そうして本当に医師となり
本当にケニアに巡回医療の医師として出かけて行った。
酔うと少しだけ饒舌になる彼は、
遠くを見るように宙を見つめながら
僕にケニアの大自然を語った。
そんな時、彼はいつも少年になる。
彼は極めて優秀な外科執刀医である。
故に人の生命に対して敏感である。
人々の生と死の間の戦いを共に戦うのだと彼は言う。
仮に助かってもそれは医師が助けるのではなく
神様が助けるのだと彼はまじめな顔で言う。
駄目な時もある
その度に、現代医学では絶対に無理だとわかっていても
自分以外の誰かが執刀したら、
もしかして助かったのではないかと悔やむ人なのだ。
もしも彼が言うように、人が助けるのではなく神が助けるというのなら
もしかしたら、彼は天使ではないかと思うことがある。
それに彼は優しく温かい。
『僕はのたれ死ぬとです』
彼は酔いが回るとそうつぶやく。
生命の尊厳と常に対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。
ケニアの大自然の中で
彼は神と共にあったのかもしれない。
この歌はそんな彼の青春の一片を歌おうとした。
僕も、僕の草原の、風に立つライオンでありたい
この歌を宮崎医科大の柴田紘一郎先生に捧ぐ。

宮崎日日新聞の記事 2月20日
最近、私の尊敬する人がどんどん亡くなっていくように感じる
寂しい思いがあるのも反面
私自身は柴田先生から学んだことを、
これからの人生に少しでも生かすことができればと考えている
TSUKEMENコンサートは2月28日開催するが
柴田先生も今回は天国から応援してください!
そしてまた近い将来、一緒にお酒を酌み交わしましょう!
必ず私も参りますから・・・・・合掌!

