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皇帝が降り立った宮崎(西日本新聞2月14日)

宮崎県庁時代、大変お世話になった日高康貴さんが

弊社の事務所に西日本新聞を持って訪ねてこられた

日高さんとは以前の会社で

大きなイベントをプロデュースさせていただいた

1990年に宮崎県内全域で開催された90ひむかの祭典

この時には世界サーフィンを提案し木崎浜ビーチで実施した

サーファーにはお金がないなどと言われながらも

県庁の方々も後押ししていただき、一緒に

3年間世界サーフィン大会のMIYAZAKI -PROを行い

多くの観衆が宮崎に訪れ、世界のサーファーも宮崎の波に感激した

このことが今の宮崎のサーフィントレンドの基礎固めだったように思える

忘れられないのが2002年のワールドカップドイツキャンプだ

この時も日高さんが県庁のW杯キャンプの事務局長で

私が企画運営のプロデュースを行い、貴重な体験をさせて頂いたのは良い思い出だ

西日本新聞の論説委員山口英宏氏が書いた

2月14日の風向計の記事をご紹介したい

皇帝が降り立った宮崎

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温暖な気候に充実した施設

プロアマ問わず、宮崎はスポーツキャンプ地として人気だ

そのような地にかって『皇帝』が降り立ったことがある

サッカーの西ドイツ(当時)代表の主将監督として

ワールドカップフランス大会で優勝したフランツ・ベッケンバウワーさんだ

日韓が共催した2002年のW杯

宮崎市では準優勝したドイツ代表

ベスト16のスウェーデン代表の強豪2カ国がキャンプした

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そこにベッケンバウワーさんは

次の06年ドイツ大会の組織委員会会長としてやってきた

背筋がぴんと伸びた優雅なプレイスタイルで皇帝と称された

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神業のようなボールさばきで魅了したペレさんやマラドーナさんの南米スタイルに対し

たぐいまれな統率力でチームの総合力を発揮した、欧州で並び立つスターだった

ドイツ代表の練習に現れた際には気さくにサインに応じるなど

ファンとも積極的に交流していた、ひときわ大きなオーラが忘れられない

「海岸が美しく、施設も素晴らしい。キャンプをするチームにとってはパーフェクト」

記者会見では宮崎を絶賛した

かつての新婚旅行ブームが去り、観光客が減って不振にあえいだ時期もあったが

キャンプ王国として復活。

ノウハウの蓄積とおもてなしの努力が結実したのがW杯キャンプだった

誘致合戦も激しかった。元宮崎県職員でW杯受け入れ組織の事務局長だった

日高康貴さんは「日本各地で争奪戦、他県からすれば垂ぜんだったでしょう」

と振り返る

1都市で2カ国がキャンプしたのは宮崎だけだ

「サラダが美味しい。宮崎の野菜は甘い」

日高さんはドイツ選手の笑顔と言葉が印象に残ってるという

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翌年には宮崎市の施設整備や熱心な働きかけが実り

ソフトバンク(当時ダイエー)が宮崎キャンプを開始している

皇帝の太鼓判が地元に自信を与え、さらなる誘致につながったのだろう

W杯キャンプが宮崎を大きく成長させたのは間違いない

先月、78歳で死去したとの訃報を受け、改めてその偉大さと

宮崎キャンプとのつながりを思った

ある意味スポーツランド宮崎の世界への飛躍は

このW杯のキャンプ誘致から始まったのだと確信する

過去の話ではあるが素敵な記事を読ませていただいた!