
日本治水株式会社(宮脇秀子社長)
宮崎県綾町に「水」一筋で、創業40年目を迎えた企業がある。
JR西日本の新幹線トイレにおける消臭や尿石の抑制、トヨタ自動車株式会社の
塗装ライン、歯科治療機のぬめりやノズル閉塞防止など
多くの企業でその技術が採用されているのが日本治水株式会社だ

社長の宮脇秀子さんに話を伺った
日本治水の創業者であり、前社長 宮脇淳一氏により1986年に創業され
水とセラミックの関係に着目した独自の研究を重ねてきました。
原料の開発から機能の発現方法、そして応用に至るまでを独自に構築し
水処理に画期的な機能を現す、セラミック粒「エルセ水処理装置」
の開発に成功しました。
この装置は、水中においてセラミック粒子「Elce」を水流によって流動させることで
その機能を発現させます。
電力や薬剤を使用せず、
ランニングコストゼロ及びメンテナンスフリーという特徴を持つ
画期的な”流動電解法“による水処理装置です。
1)セラミック原石との出会い
日本治水株式会社の創業者、故・宮脇淳一氏は
1970年3月九州産業大学商学部経営学科を卒業後、
1986年4月に同社を設立しました。
多様な人生を重ねる中で、動植物そして人間にとって「水」が
いかにかけがえのない存在であるかが
深く心に刻まれるようになっていきました。
ある夜、宮脇氏は不思議な夢を見ます・・・・
斑点のある石の夢でした。普段夢など見ない彼にとって、
それはまるで天からのメッセージのように思えたといいます。
そんな折、偶然出会ったある予言者のもとを訪ねた際、挨拶を交わした直後
その方から「あなたは石を探しているでしょう!」と言われ大きな衝撃を受けました。
夢の話は誰にもしていなかったにも関わらず、
「あなたの後ろにいる方が、石を探しているこの者を手助けして欲しいと言っている」
と言う言葉に、さらに驚かされたのです。
半信半疑ながらも、導かれるように話を聞いていくと、その予言者は
九州の地図を広げられ、あなたが夢に見た原石の山は、
北九州から一直線上に線を引き、こう言いました。
「その石は宮崎県北川町祝子川(ほうりがわ)にある」と
宮脇氏はすぐに行動し祝子川を訪ね、約一週間泊まり込みながら
連山を歩いて石を探しました。しかし石は見つからず、諦めかけた最終日
地元の方から車で、
「30分程度行った山の奥で林道工事のために発破作業が行われている場所がある」
と聞き。半信半疑で向かいました。
そして・・・・
そ戸で彼は、自らの夢に見た「斑点のある原石」とまさに対面したのです。
信じられない思いで腰が抜け、しばらく立ち上がることが出来なかったと
彼は何度も語っていたと言います
その後原石が眠る山のふもとで導きを与えていただいた先生に向かって
北九州の方向へ深々と頭を下げ、感謝の祈りをささげたのでした。
その出会いこそが古代堆積岩「ホルンフェルス」との出会いでした。

2)画期的な独自技術開発と特許取得
その原石を発見後は水の関係性を学び、研究を重ねる日が始まります
やがて、「この原石をセラミック化し、筐体中で動かす」という発想に至り
数々の失敗を経て、宮崎大学工学部、高知大学農学部
徳島文理大学ナノ工学科、その他の大学との共同研究を通じて改良が重ねられました。
これらの地道な取り組みが特許取得につながり、
2015年には国土交通省よりエルセ工法として技術認定を受けるまでに至ります。
これにより同社の技術が全国的に高い信頼を獲得し、広く全国へと普及していきました。
しかし2014年頃より宮脇氏は体調を崩し通院生活が続いた末
2016年1月26日、惜しまれつつこの世を去りました。
その後を受け、日本治水株式会社を継続させ、
若い世代へとつなぐことを決意したのが妻であり現社長の宮脇秀子氏です
悩みぬいた末の決断であり、2016年3月、正式に代表取締役に就任されました。
3)地球の未来は水と共に〜
感動的なエピソードのひとつに、創業35年以上、毎月13日に
延岡市北川町の「神さん山」へ感謝の参拝を欠かすことなく
宮脇夫婦で続けてきたという歴史がある
自然界から貴重な原石をいただくにあたり、その想いは深く
前社長の三回忌には新しい鳥居を寄贈された。
ここ数年は「お山に行きたいなあ〜」と感じるときに
宮脇秀子社長はお参りに行かれているとか
素敵なお話である
21世紀は水の時代だと言われる
人間の70%は水だからこそ水は命の根源でもある!
水と共に生き、命を支える「水の企業」が
宮崎県綾町にあることを誇りに思う
「私はこの水の技術を若い世代につなぐ役割!」
ときっぱり話される宮脇秀子社長の笑顔がとても素敵だった。
是非未来に向けて広く世界に羽ばたいていただきたい
これからのご活躍を祈念している。
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