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ばら色の京都 あま色の東京(澤田康彦)

澤田康彦氏がマガジンハウスを退社し、主夫となり

暮らしの手帳の編集長となる過程で

様々なエッセイをまとめたものを2018年に本にした

タイトルは「ばら色の京都 あま色の東京」

家族との交流、妻本上まなみの素顔、

編集長としての楽しさと苦しさ

創業者への尊敬などが赤裸々につづられていてほっこりする本だ

澤田氏は2015年に編集長になり2019年11月に

編集長を退き、現在は京都で主夫やフリーで活動されているようだ

 

暮らしの手帳は創業者 花森安治 が

1948年に創業した生活総合師

広告を入れない、庶民の暮らしによりそうをテーマに

全てを試作、実証するというスタイルを貫いている

 

本の中でとても感動した一節をご紹介したい

 

花森さんは今も編集部に

 

編集部に葉書が舞い込みます

1世紀49号の日本人の暮らしに登場させていただきました

今から57年前のことです

貴誌は全部、大切に持っています

当時若かった私ども夫婦も、今では合わせて170歳になりました

熱烈な「暮らしの手帳」の応援団のひとりだと自負しております

愛知県春日井市在住 

57年前に取材を受けた元機関誌の川端新二さん八七歳からです

 

編集者の北川史織さん(現在の編集長)が返事を書きました

今まさに花森安治をテーマにした別冊をつくっていること

その中で自分が最も心惹かれたおふたりの記事を紹介していること

このタイミングでお葉書をいただきどんなに嬉しかったか

するとすぐ川端さんからお手紙が返ってきます

名もなく貧しい若夫婦を暮らしの手帳は記事にしてくれた

結婚六十年の中でも編集部の一行とともにいた三日間は

「本当に良ひ思い出」「貴重な体験」であったこと

封書の中には、当時花森さんが記念に残してくれた機関車の絵と

みんなのサインのコピーがありました。

そこにはこんな言葉が・・・・・

 

コノヒモ/コノヨルモ/カマヲタキ/キテキヲナラシ(中略)

キカン車ヲ動カシテイルヒトト/ソノ愛スルヒトニ

             1959年3月2日 花森安治

 

僕自身は、この半世紀を超えた、川端ご夫妻と小誌との

まぶしい交流に圧倒された者です

温かいというより熱いと呼ぶべき気持ちがそこにはある

ご夫婦の中に六十年近くを経ても

高い温度を保ったままいまのいままで続く思いが

花森さんたちは一生の美しい刻印を彼らの心に残したのですね

 

日本には「暮らしの手帳」という雑誌があるのだ

と誇らしく思うのは私だけではないと思う