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ふたりからひとり(つばた英子)

ニュータウンの造成地に建築家の津端修一さん夫婦は

平屋を立て、木を植え、土を耕し

キッチンガーデンを四季折々に彩る70種の野菜と50種の果実に

囲まれ、半自供自足生活を続けてきた

その生活をドキュメンタリーにまとめた

風と雑木林と建築家夫婦の物語

人生フルーツの映画は

樹木希林のナレーションと共に

共感と感動となって日本各地に静かに広がっていった

お金より時をためてきた2人

家は暮らしの宝石箱でなければならない

と言うキーワードは今でも心の中に深く残っている

本当の豊かさとは何かを問いかける映画だった

そのつばた夫妻もしゅういちさんが90歳で亡くなり

その後英子さんも亡くなったのだが

「ふたりからひとり」 はしゅういちさんが亡くなり

独り暮らしとなった英子さんとしゅういちさんの書き残した言葉が重なり

貴重なエッセイ集となっている

その本の中でしゅういちさんの最後の日のことが

とても印象的なのでご紹介したい

人生が完成する日—しゅういち

サマセット・モームは、僕の好きな作家でね、

彼は64歳の回想記に、こんなことを書いているんですよ

「私はいつも未来に向かって生きてきたので、

未来が短くなった今もその習慣から抜け出せないでいます」

と言いながら91歳まで生きて、自分の死をこうも言っています。

「わたしの目論んだ人生模様が完成する日」と

幸福な人生だったんでしょうね。

90歳の誕生日にはこうも言っています

「時々人生を繰り返したいかと質問されます。

全体としてみると結構よい一生でした。・・・・・・

もしかすると大部分の人より良い一生だったかも」と言いつつ

「でももう一度繰り返しても無意味です。

前に読んだ推理小説を再読するように退屈です」と

91歳でなくなったモーム。

ゆとりがあって立派ですね、僕も同じような思いです

僕も「私の目論んだ人生模様が完成する日」を迎えることでしょう。

(2014年10月)

最後の日

6月2日、その日もごく普通よ、朝6時に起きて

・・・・・・・・

朝ごはんですよと庭にむかっって叫んだの

しばらくしてゆっくり戻り、貧血が起きたよと

そこで靴を脱ぎ、床にごろん

急いで座布団を弾き、ちょっと休んで自力でベッドに移って

・・・・・・・・

11時半過ぎ、様子を見に行って手を触ると冷たい

「お父さん、お父さん、どうしたの」

大きな声で呼んだけど全く反応がない。

急いで救急車の電話をかけて。

到着するまで心臓に両手を乗せ、押し続けてくださいと言われて

とにかく必死で心臓マッサージを続けて・・・・・

すぐ近くの病院に搬送され、蘇生の処置をいろいろうけて

「ご臨終です」と伝えられたのは12時7分頃

・・・・・・

「最後はスマートに逝きたいね」 と言っていたから

・・・・ほんとにスマートに逝っちゃった

娘たちは、お父さんは弱虫で寂しがり屋だから、入院せず

家で最後が迎えられてよかったね。

お母さんからすればあと2,3年は生きていてほしかったのだろうけどと言って

                         (2015年6月)