殉愛(百田尚樹)
希代のタレント、歌手でもあり
テレビの革命とでも言われた「そこまで言って委員会」など
関西の視聴率王とも呼ばれたやしきたかじんが亡くなって10年
私の周りにもガンで亡くなった人も数多い
改めて百田尚樹氏の書いた「殉愛」を読み返してみた。
何故百田尚樹氏がやしきたかじんの本を出版したのだろうか?
やしきたかじんを偲ぶ会
TAKAZIN MEMORIES 2014
あんたのことがICHIZUにやっぱ好きやねん
に百田氏は招待されていたが、予定があったため
キャンセルするつもりだったが、スケジュールが空いたので
会に出席、そこで未亡人のさくらさんと出会った
一週間後にメールがあり会って話すと
たかじんは百田さんのファンだった
俺の本を出してもらうなら百田に助けてもらう
などのメモを見せられ
決まっていた仕事を半年後に後づらしして本を出すことを決意する
たかじん62歳
2度の結婚生活の失敗を経て体調が悪い日々が続いていた
そんな時にイタリアで仕事が順調に進んでいて一時帰国のさくらさんと
たかじんとの2011年12月25日の出会い
そして突然のたかじんのプロポーズ
2012年1月17日たかじんから食道がんの診断を聞き
これから少しずつ少しずつ、大変も嬉しいも、シェアして半分ずつにしましょう
前向きにポジティブに、こんな時だから出会えてよかったよ ありがとう
のメールを打ち
イタリアに帰るチケットを縦に引き裂きさくらは決断する
そして壮絶な介護の日々がスタートしていく
たかじんの介護と様々な症状の勉強
病院と先生への交渉等々
多くの問題を彼女なりに格闘、調整する日々が続いていく
TV番組の休養期間
病状が安定した時期の札幌やハワイは
2人にとって短いながらも貴重な幸せな日々だったことだろう
そして復活
わずか1か月後の再発
2013年5月27日 さくら32歳の誕生日
たかじんは目を真っ赤にして手紙を差し出す
何万語、何千語
言葉を探しても出てくる言葉は
「さくら ありがとう」
こんな苦難な一年をぼく以上に
のり越えてくれて
戦ってくれて、ぼくにとって
心のささえになってくれて
本当にありがとう
誕生日にまた何にもできないけど
必ず元気になってハニーと
楽しい時間を迎えるから待っていてね
また今日からヨロシク。愛しています。
To Sakura Love
2013年10月10日
札幌市役所で婚姻届けを提出
2013年12月23日
最後の主治医からの地獄の宣告
腹膜播種(ふくまくはしゅ)
腹膜内にお米の粒ぐらいのがんが無数にできるもの。
2年間どんな状況に陥っても一度も諦めなかった
さくらの心が折れた
この頃のたかじんのメモ
ぼくが幸せにしたいのにできん
守りたいのにできん
命があっても食道は買えん
命も延ばせん
60で死ぬと決めといて
いつ死んでもええと生きてきたのに
惜しくなるんは恥や
惜しい思うんはさくらがおるからか?
まだおりたい 約束あんのに
まだ死ぬんは嫌や
もう会えんくなる
2014年1月3日1時34分
やしきたかじんは息を引き取った
最後に残されたたかじんのメモ
ここにきて命も寿命も受け入れられんのは
本間に会うべき人間と会ってしもたから
受けるべき愛情を知ってしまったから
人生に金以上、仕事以上、遊び以上の価値を見つけたから
与えることもできんかった愛情をさくらに全部あげたい
百田尚樹氏は、この物語は
愛を知らなかったやしきたかじんという男が
本当の愛を知る物語だと思う と語っている
最後に百田氏の半年にも及ぶ長い取材の後に
さくらさんが
2年間を振り返り、ハニーと向き合えた気がします。
ハニーと出会えてよかった。
少しも後悔していません。
ハニーとまたいつか会う日まで
彼に恥じない女性でいたい
ハニーによくやったねと褒めてもらえるよう、
彼の分まで大切に生きていたいです。
壮絶ながんの治療に
一心不乱に介抱し続けたさくらさんと
本当の愛を知ったやしきたかじんとの純愛の物語
再読したが、涙無くしては読めない本である。